日本時間の6月26日午前0時50分ごろ、世界遺産委員会が、岩手県の「平泉の文化遺産」について、世界遺産に登録すると正式決定しました。
仏教の「浄土思想」を形にした建築物や庭園について普遍的な価値が認められ、「石見銀山」以来となる4年ぶり、12件目の文化遺産です。
京都や奈良と違って、観光地化されていないとっても風光明媚な佇まい。
登録されたことによって、観光客が増え…今の状態が維持できなくなる…と言うことが懸念されますが…!?
奥州藤原氏4代…約100年に渡る栄耀栄華の象徴でもある「中尊寺」!!
中尊寺を1105年50歳のときに建立した藤原清衡の前半生は、兄弟・親族が相争い、多くの近親者の死を目の当たりにしてきた。
壮年以降の清衡が平泉の地に、都の大寺院にも劣らぬ仏堂を造立したのは、その莫大な経済力の背景があったことと…、戦いに明け暮れた前半生を省み、戦没者の追善とともに、造寺造仏、写経の功徳により、自己の極楽往生を願ってのことであったといわれている!!
清衡の政権の基盤は、奥州で豊富に産出された砂金と北方貿易であり、北宋や沿海州などとも独自の交易を行っていた様である。
余談ですが、マルコ・ポーロの「東方見聞録」に登場する「黄金の国ジパング」は、中尊寺の金堂を頂点とする黄金伝説を伝え聞き…その幻の国をイメージしたものだとか…!!
また、奈良の大仏も完成当初、全身に金箔が貼られており、奥州で産出されたものを使用していたそう!!
しかし近世の中尊寺は衰退…、『奥の細道』を旅していた松尾芭蕉が中尊寺の荒廃ぶりを見て嘆いたということは伝えられている事実…。
夏草や 兵(つはもの)どもが 夢のあと
※この地で長く栄えた奥州藤原氏も滅んでしまった、英雄源義経もここまで追われてついに討ち果ててしまった。
五月雨の 降り残してや 光堂
※ものを朽ちさせる梅雨のうっとうしい雨もこの平泉の光堂(金色堂)だけは降り残してきたのだろう、今も昔の輝きを華やかに見せている。
今回、小笠原諸島(東京都)が自然遺産に登録され、平泉とともにW登録となりました!!
本当におめでとうございまぁ~す
残念ながら、管理人は行ったことがありません…
「東洋のガラパゴス」…と称賛されるほど自然豊かな場所…だとか!!
行ってみたいなぁ~という反面…、実は管理人…大の虫嫌い、勿論「ヘビがだめぇ~、ウナギもだめぇ~
」なので…きっと、小笠原諸島に辿り着いたとしても…旅館から1歩も外に出られない…ハハッ、ダメ管理人です
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